オトガイという言葉は聞きなれないかもしれませんが、あご先をオトガイと称します。
一般的には皆様は、オトガイのことを“あご”と称しますが、医学的には、あごは下顎、上顎を含めて広い範囲を意味しますので、下顎の先端に関しては、敢えて“オトガイ”と表記させていただきます。
下顎の正中部の前面には両半部が癒合した部位を示す細い隆線が上下方向に走りますが、この隆線の下端近くにはオトガイ隆起という三角形の輪郭をした高まりを作っています。
この隆起の中心から外側へ2㎝弱隔たったところは特に膨隆するので、オトガイ結節と呼ばれています。
これらはいずれも境界が不鮮明な高まりですが、正中にあるオトガイ隆起と左右のオトガイ結節とは全体として下顎底の前方への突出を形成しています。
これをまさしく”オトガイ(MENTUM,CHIN)”と称します。
下顎体の正中線から3㎝程離れたところで、オトガイ結節の斜め上方にはオトガイ孔が開口しています。これは下顎管の出口、すなわちオトガイ神経が現れる孔ですが、オトガイ孔はむしろ後方に向かって開いています。
なお間違いやすいので説明しておきますが、下歯槽神経は、下顎骨内の下顎管の中を走行しており、その後オトガイ孔から骨外に現れて、オトガイ神経となります。
オトガイ部(下顎結合部)は顔貌を特長づける重要な部位であるため、正面顔(正貌)、横顔(側貌)においてさまざまな悩みがあります。
頬骨、エラに関してはほとんどの患者様の要望は『小さくしたい!』ということですが、オトガイに関してはそれと異なり、さまざまな悩みがあり、またさまざまな手術方法で治療することになります。
ここでは『後退しているオトガイを前方に出したい』『短いオトガイを長くしたい』『平坦な幅広のオトガイを細くしたい』などで悩みのある患者様に対するオトガイ・インプラント挿入術に関して説明してまいります。
横顔において顎の突出度合いを評価する際、鼻尖と口唇との関係ではRikettsのE-lineが一般に知られています。しかし、これはあくまでも一つの目安として考えるべきです。なぜならE-lineに照らし合わせると、鼻の低い人ではオトガイが前方に出ていなくてはならず、かえって異様な顔貌となってしますいます。適度な鼻尖の高さがあり、適度な口唇の突出度のある方であればこの基準に適するのでしょうが、それよりは正面顔、横顔全体のバランスが重要であるのは、その他の美容手術と大きな差異はありません。
セファロ側面像では、上口唇、下口唇、オトガイの突出に関する平均値が参考になります。
正面顔では、オトガイの理想的な長さに関しては、鼻下点からオトガイ下端までの長さが女性では70mm(男性では75mm)を平均とし、下口唇(赤唇)下端~オトガイ下端までの長さでは、女性で35㎜、男性では38㎜を理想値として骨切りデザインを決定しています。
オトガイ幅径は”左右光彩内側縁間から左右鼻翼間幅径の間にある”ことが望ましいとされています。
セファロ、パノラマは最低限必要となりますが、一部の患者様でCTが必要となります。
以下に術前検査の概要とその重要性を示します。
術前検査を省いて本手術を行っている施設もあるようですが、本来は非常に重要です。一生に一回(ないしは数回)の手術ですので、慎重に最善を尽くすべきであると考えます。
オトガイ神経の位置は特に重要です。オトガイ孔は意外に下方にあったり、中央寄りにあったりと個人差が強く、検査の重要性が示唆されます。
1)小さめのインプラント(長さ35㎜以内)を挿入する際には、セファロ正・側面像とパノラマが必要です。一般的にはシリコン・インプラントは両側オトガイ孔間の内側に入れるので、オトガイ孔の位置、オトガイ神経走行位置を詳細に知る必要はありません。手術中に注意することにより神経損傷を避けることができるからです。
2)大きめのサイズのインプラント(長さ50㎜以上)を挿入する患者様では、剥離、挿入の際に両側のオトガイ孔の位置が非常に深くかかわってきます。そこで上記レントゲンでは不十分であり、CT撮影を要します。
さらにオトガイ孔が低い位置にある場合には、3次元実体模型を作製します。その後に患者様の骨形態に合わせて、シリコンインプラントあるいはメタクリル酸メチルをカスタムメイドで作成することになります。このような患者様に既製品のインプラントを挿入しますと、神経にインプラントが触れて術後に長く違和感が残ったり、形態的には下顎底からインプラントの端が収まり切れずに、触れたり変形したりする可能性が高くなります。
また3次元実体模型なくして盲目的剥離操作を行うとオトガイ神経麻痺がおこる可能性がありますので注意が必要です。
3)すでに過去に一度手術を受けていて、何らかの理由で入れ替えを希望される場合には、通常はCTを撮影します。骨変形などがある場合には、3次元実体模型から骨形態を詳細に把握します。
このような修正患者様においては、インプラント周囲に被膜(カプセル)を形成していますので、手術自体がかなりやりにくいケースも少なくありません。その場合には、オトガイ神経の損傷を避けるためにその位置を正確に把握しておく必要があります。
また長期的に大きめのインプラントが挿入されている患者様では、インプラントの圧迫により骨吸収が起こり、その結果陥凹ができている可能がありますので、術前に精査しておく必要があります。側面セファロで骨吸収の存在は把握できますが、その深さ、範囲を詳細に知ることは不可能ですので、CTは有用な検査法となります。
短く後退しているオトガイの患者様では、インプラント挿入によって前進させることによりオトガイ高が長く見えるため、術後の顔貌形態は良い結果となります。横顔でオトガイが後退しているため、インプラントを挿入して前方に出しますと、正面顔では顎が長くなる、ということを理解する必要があります。
そこで注意すべきは、オトガイが後退しているために見かけ上(正面顔)は長く見えていなかった患者様が、インプラントを挿入することにより術後に『顔が長くなった!』と不満を訴えられることが大変多いのです。これは当然のことです。
したがって術前診察において、オトガイ高が35㎜以上あるような場合には水平骨切りによって(中抜き法)によって、オトガイ高を数㎜短縮してから先端を前方に出すべきであります。すなわちインプラント法では満足すべき結果は得られないということです。
このあたりに関しては、術者の経験が非常に重要となります。インプラントの適応は簡単に考えるべきではありません。
インプラントによるオトガイ形成は局所麻酔下で行えるため、また術後の腫れを考えますと患者様にとっては低侵襲な方法です。しかし、インプラントで美しいオトガイを形成する為にはその他にもいくつものコツ(ハードル)があります。
術後にしばしば問題となるのは①インプラントの不自然な形態、②インプラントの位置(上方偏位しやすい)です。
市販のインプラントの形態は辺縁にグラデーションがなく、そのままの形で使用すると辺縁の段差が目立ち『如何にも入っている不自然な形態』となりやすいため、術者自身で加工する必要があります。当院では、私自身が設計したオリジナルのインプラントをメーカーに作製(オーダーメイド)してもらっているため、辺縁はスムースに骨に移行し、自然な形態となります。
術後の位置異常のの問題ですが、これは外科医として技術的に難しい問題で経験を要します。
粘膜切開後にオトガイ神経の位置を把握しようと思いますと、剥離が側方に広すぎることになり、インプラントは頭側に偏位することになります。一方、オトガイ神経の位置を確認せずに、ブラインド(盲目的)に剥離を行うことにより、錨型の剥離が行えるためインプラントの頭側移動は防止できますが、神経損傷を考えますと外科医は不安になります。
そこで広く剥離して、安全に神経を確認して、その後骨に孔をあけて、インプラントに糸をかけて固定する、などといった方法も考えられます。ただし、これでは決して低侵襲な手術とは言えません。術前検査で神経の位置を正確に把握しておくことにより、安全に錨型の剥離が可能となります。
その結果として、インプラントが本来入るべき位置にきちんと収まるということにつながるわけです。
オトガイに挿入するインプラントは、シリコン・プロテーゼがもっとも一般的です。海外の多くのメーカーから発売されているため入手が容易です。さらにカスタムメイドにも対応してくれますので、当院独自の形態のインプラントをオーダーすることができるのです。
但し患者さま個々の骨形態はさまざまです。下顎結節などはかなり左右差がありますので、そのような患者様の場合には、出来合いのシリコン・インプラントでは両端に浮き上がりなどが生じて、皮膚側から突出として触れる可能性があります。
勿論その際に術者である私がその場でインプラントを削り出すこともあります。
過去にシリコンインプラントが長期的に挿入されており、挿入層、大きさなどの問題から骨吸収が起こっているような場合には、新しくシリコン・インプラントを作成するのは難しいことも少なくありません。 そのようなことが想定される場合には、あらかじめCTから3次元実体模型を作製して、メタクリル酸メチルで患者様の骨吸収された下顎骨の形態にきちんと合わせたうえで左右差を整えて、新しく挿入するインプラントを作成します。通常この作業は手術2~3日前に行っています。
ハイドロキシアパタイトをシリコン・プロテーゼの代わりに使用することは可能です。シリコンインプラントとは異なり、切開創から粘着性のあるアパタイトを注入して、3分以内で適度な形態に成形するというものです。
その後に削って多少は形を整えることができますが、良い形態をつくることが難しい(3分間で固まってしまう)などの欠点があり、美容外科での使用に関してはあまりお勧めしにくい素材です。
手術は通常は静脈麻酔(患者様は眠っている状態です)で行われます。手術時間は難易度にもよりますが、30分~60分程度です。
切開部位は口の中ですので、皮膚側には傷は残りません。口腔前庭切開は、歯肉粘膜移行部よりは粘膜側として約2cmとします。
大きく切開しますと、必然的に上方での剥離範囲が広くなり、頭側偏位の原因となりますので重要なポイントの一つです。
剥離が成功に導く重要な要素の一つです。オトガイ下端に向かって、骨膜下ないし骨膜上で錨型(扇形)に剥離していくことがポイントです。
最下端である下顎底では、骨膜剥離子から剪刀に持ち替えて骨膜を下顎下縁で切開しますが、ここが二つ目のポイントです。
ここをリリースすることによりインプラントに対しての頭側(上方)への圧力を解除し、インプラントの下端を骨の下端に合わせることができると同時に、上方移動を防ぐ手段となります。
術前あるいは術中に細工したインプラントを挿入することになります。剥離は常に控えめに行っておくべきで、この挿入する段階でスルッと入ってしまうようでは剥離しすぎです。最終的にインプラントがどこに動いてしまうかわかりません。術後に『曲がって入っている!』と言われる原因の一つです。
慎重に最小限の剥離を勧めながら、骨とインプラントが馴染んでいるかどうかを確認して良ければ、洗浄後に5~6針、吸収糸を使用して閉創します。
術後は2~3日間、オトガイの皮膚側に圧迫用の肌色のテープを張らせていただきます。このテープはあくまで腫脹軽減のためのものであり。これによってインプラントの位置がずれないとか言ったものではありません。インプラントの位置決めは術中に決まっており、そこは外科医の腕が試されることになります。
上記二つのポイントを注意して行うことにより、インプラントを適正な位置に挿入することができます。
インプラントが頭側(上方)に移動した場合には、横顔では奇異なオトガイ形態となります。またオトガイ自体が大きく見えてしまいます。
インプラント下端は常に下顎骨下端に位置合わせしますが、その際に患者様の要望に合わせて当然インプラントの形態も調整する必要があります。
下方に延長したい場合、下方にできる限り延長したくない場合では、挿入するインプラントの形態が異なります。あくまで剥離、挿入位置は理想的に行うべきであり、『長くしたくないから、オトガイ先端に入れなかった』というような理論では3次元的に美しいオトガイを形成することは不可能です。
インプラントによるオトガイ形成は一見易しそうですが、実はきれいなオトガイ形態を作るのにはかなり技術を要することがわかっていただけたでしょうか。